藤堂高虎陣跡。
ここに辿り着くまで、迷いましたねェ…。道すがら人に尋ねたりして、ようよう着いたところは、学校!!
なんと学校の敷地の中に陣跡があるんです。
うらやましいですね。部活をしている子供たちを横目にちょっと撮らせていただきました。


空き地から松尾山を眺める。おそらく空は400年前と変わっていないはずだ。



徳川家康最後陣跡(床几場) 家康が桃配山から陣を進めた場所。戦が終わった跡は首実検の場所として使われた。周囲の土塁などは、1841年に幕府の命によりこの地の領主である竹中氏が築いたもの。

決戦地

もっとも激戦が繰り広げられた場所。徳川の家紋と三成の家紋が合間見えております。島左近もここで討ち死にしたと言われてます。

司馬さんの「関ヶ原」にもあります。この地で島左近と戦った黒田家家臣は、島左近の恐ろしい怒声が一生耳について離れなかったとか。

こんな感じで斃れた人もいたんでしょうか?
決戦地の周りは、田んぼと民家です。出来る限り景観を残そうとしている地元の意思が伝わってきます。

コンビニなんかありません!!
石田三成陣跡(笹尾山)
14日、大垣を出た三成は15日の午前5時、笹尾山の正面に布陣。ここからは決戦地を見渡せる。

笹尾山のふもとで家族連れと遭遇。写真を撮ってもらいました。なんか唯一紀之介と天草がちゃんと一緒のフレームに納まっている気が…!!モチロン私も撮って差し上げました。
しかし、ここがどういう場所なのかイマイチ分かっていない様子だった…。もったいない。因みに笹尾山のふもとは、旗で分かるように島左近の陣跡があります。
竹矢来が張り巡らされてます。
三成はこの竹矢来を二重にして敵の侵入を防ぎました。
さて上に行きましょうか。
軽く息が上がります。
三脚がなかったので、カメラを斜めにしながらダッシュしました(笑)
メッチャ頑張ってます。
関ヶ原に唯一のテーマパーク(?)「関ヶ原ウォーランド」に立ち寄りました。

他にお客さんがほとんどいなかったので、2人してあほな写真ばかり撮っていたら、団体さんが入ってきて、少し恥ずかしかった…。

※ウォーランドの写真は大きくなりません!!
ウォーランドは関が原の合戦を人形で表しています。
しびれを切らした家康が、松尾山に鉄砲を放ちます。
なぜか平和を訴える武田信玄公が…。
関ヶ原に信玄は関係ないじゃん!なんてことは言いっこなしで。




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