今回は天草シロ子と関ヶ原周辺観光で一泊しました。
思いっきり紀之介の行きたいところばかり回ってます…。


関ヶ原古戦場巡り


朝の6:10に大阪駅で待ち合わせるも、紀之介が1時間も遅刻してしまい、ちょっと遅れ気味でスタートしました…。
東海道本線で岐阜に入ると、山に雪が積もっててちょっと感動!!
関ヶ原駅には両軍の主要メンバーの名前が書かれた看板があります。
前の日まで雨だったので、曇天です。まだ9時過ぎなのに…。


まず駅から歩いて5分の場所にある松平忠吉・井伊直政の陣跡へ。
福島正則を出し抜き、関ヶ原の戦いの火蓋を切った直政は徳川四天王の一人。
実は関ヶ原駅に到着する寸前、電車の中からここの旗が見えていて、テンションが上がりました。


井伊直政の陣跡のすぐ裏には東首塚があります。東西両軍の供養堂です。供養堂の手前には、実際に首実検前の化粧用に使用されていたとされる、首洗いの井戸も残っています。

ちょっと怖いので念入りにお参りを。
道沿いにこんな柱(?)も建っていました。


もうちょっと歩いたところにある関ヶ原町歴史民俗資料館でレンタサイクルを借ります。
ここには色々な資料が展示してあります。思わず見入ってしまいそうになりましたが、先を急ぐので短めに切り上げました。
自転車は17:00までの貸し出しです。熊が出るかもしれないから気をつけてと見送られました。
自転車をゲットしたので、資料館から一気に桃配山へ。家康は9月15日の午前3時ごろ大垣の本陣からここに本陣を移動させます。しかしここはちょっと小高い丘でしかなく、戦場全体が見渡せなかったため、さらに前線に出て行きます。
山頂には徳川の上り旗と石碑があります。
家康はこの2つの石を椅子とテーブルにしてご飯を食べたようです。
桃配山から見た景色。
なるほど、これでは合戦全体が見渡せないですね。
またぐぐっと移動して西首塚へ。
首実検をされた首は東と西の首塚へ分けて埋葬されました。
昔は胴塚と呼ばれていたらしいです。
次に訪れたのは、春日神社内にある福島正則の陣跡。
境内にある月見宮大杉は関ヶ原合戦図屏風にも描かれていて、樹齢800年!!だそうです。
少しでも歴戦を乗り越えた杉にあやかるべく、触らせていただきました。
とにかく太い!!




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